※『閑雲野鶴をともがらに』のユーザー男性設定でのイベントのネタバレがあります。まだ見ていない方は注意。
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愛する彼女の腹を殴った。着物の帯の下にある、確かなやわらかさを感じた。腕を振り戻してから彼女――連以の様子を見ると、帯に守られているとはいえ痛むようで、腹を押さえている。表情は何が起きたかわからないという感じだ。
「(ユーザ)いきなり何を――」
言い切る前にまた腹に拳を叩き込む。喋っている途中で殴られて、連以は激しく咳き込む。咳のし過ぎで、その顔は真っ赤だ。
「ひどい……ぞ、(ユーザ)。何か……ゲホッ、嫌な事でもあった、のか。話なら聞くか、ゲホゲホッ……な? だから、殴るのは……」
「ひどいのは連以だよ」
手と膝を突いて苦しそうにしている連以のそばに寄って告げる。すると連以は、信じられないといった顔で、
「それは、どういう――」
ことじゃ。と、また言い切る前に、しかし今度は殴るではなく、唇を奪う。連以はこの事態についていけないようで、目を白黒させるばかりだ。
「前も言ったけど、愛してるよ、連以」
そう言って間髪いれずに三発目、腹に拳を入れる。三回も帯越しに殴ったせいか、帯はゆるみ、着物は少しずつはだけてきている。山の中の庵は涼しいが、止まらない咳により連以は汗を滲ませている。息は荒く、ずれた着物で汗ばむ姿は、とても扇情的だった。
「本当に愛しているんだ。だから、連以と同じ時を生きたいとも思ってるのに、それを連以に言うと、人のままであってほしいと、連以に見守られながら一生を終えてほしいとしか言ってくれない!」
「――! しかし、それはっ」
また殴る。色々言いながらで前よりも力が篭ってしまったようで、連以は涙を浮かべ、咳をするごとに涎を口の端から垂らしている。赤かった顔は、直前のやり取りで既に青ざめている。
「恋仲になろうとキスをしてきたのは連以、結婚の儀式を半ば無理矢理やらせてきたのも連以。それ自体は嬉しかったよ、本当に」
連以は何も言わない。それか、言えないのかもしれなかった。ただ、ひどく辛そうにしている。
「別に連以が不老不死じゃなかったらこんなことは言わない! 時間じゃ死なない連以だから、子どもも産めない連以だから、俺も出来るならそうなってずっと一緒に居たい。なのに連以は駄目と言う。関係を求めてきたのは連以のほうなのに、諦めて死ねなんてずいぶん勝手な話じゃないか!」
これで最後だと、五発目を。力を込めて殴ると、小柄な連以は容易く宙に浮く。今までで最も強い暴力に、連以は崩れ落ちてうずくまる。
連以はしばらくの間えずいていた。咳とともに胃液混じりの涎が、庵の畳にだらだらと垂れ落ちる。山の澄んだ空気の中に、味わいなれた連以の唾液と、胃液のすえた匂いが混ざった。顔はいっそう蒼く、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
言いたいことを全部吐き出して、気が抜けてくずおれる。しばらくそのままでいたら、傍に連以が寄ってきた。着物ははだけたまま、涙や涎が染みて所々が黒く見える。
「すまぬ……(ユーザ)、すまぬ。わしが悪かった。もし許してくれるなら、これからもずっとわしの夫でいてくれ……」
ぽろぽろと涙を零しながら言う連以を、胡坐に座りなおしてから足の上に乗せる。はだけた着物の間に手を滑り込ませ、さっきまで殴っていたちいさなお腹を撫でる。咳こそ止まっていたものの、まだ青かった連以の顔がやわらぐ。きめ細やかで温かな肌は、触れているだけで落ち着ける。
「辞めるのは人間だけでいいよ。こんなにひどい事しておいて、夫婦辞めるなんて言ったら連以は殴られ損だろ。……俺も散々殴って悪かった。もし許してくれるなら、これからも妻でいてくれ。あとは、俺がずっと連以の夫でいられるように手伝ってほしい」
「ふふ。それは勿論じゃが、今までわしが駄目だと言った通り、良くないということだけは覚えておくのだぞ」
「忘れないよ。だって今までも散々聞かされてきたしさ。――さて、それじゃお風呂沸かしてくるよ。連以も顔とか色々洗いたいでしょ」
「そう……じゃの。うむ、それがいい。ところでな(ユーザ)、聞いておくれ」
顔の青みが無くなったと思いきや、気づけば連以はいつも以上に顔を赤らめていた。ただ腹を撫でただけではありえない。胡坐に乗せた際にそれらしい感触はしなかったから、粗相ではないと思うのだが。
「まだ腹がおかしいから、風呂でも撫でていて欲しいのじゃ。きっと湯に浸かりながらなら治りも早いであろう。だから共に風呂に入ろう。……あと、確かに子は成せぬと言ったが、それは本当は出来ないではなくてわからないだけであってな。もしかしたら……回数さえ重ねていれば、そのうちこの腹に子を宿せるやも知れぬのだ。だから、な?」
了
閑雲野鶴をともがらに(master: りすな site: ていじま)
by 海栗犬